マイオピニオン:原子力発電は必要か

国士舘大学 岸本 健

原子力発電は安全であるという神話は人為的に作られた。科学的な根拠はない。それどころか原子力発電は必要であるが危険なものであるがゆえに、安全神話は必要である人がいた。そして、彼らは安全である事を現実にしようと努めた。 原子力発電はそれが必要であるかどうかという議論と、安全であるかどうかという議論は切り離した方が良いと考える。

まず、必要であるかないか?

原子力発電反対の人達の意見に批判的にコメントする。風力や太陽光発電といった自然エネルギー、新エネルギーのなかで、唯一原子力発電に匹敵する発電は地熱発電くらいしかない。自然エネルギー推進派や開発者の中には数年のうちに原子力発電量を凌駕できる発電量を確保できると推定する意見もある。しかし、この意見には余りにも楽観的予定の元での意見である。 太陽熱も、風力もそれが産業を支え得るほどの電力量を供給できるエネルギー密度を持っていない。しかし、原子力も火力も宇宙的には化石燃料であるから。狭い国土の我が国ではエネルギー密度が低いことは多くの深刻な障害(風車の居住地域への圧迫、太陽パネル下の地面の生態系とくに食料生産への影響)などを発生する。

もう少し長いスパンで考えるならば、自然エネルギーで大半のエネルギー消費を賄うのがあるべき姿かと思うが、十分にその対策ができるほどにはなっていない。それに、エネルギー多様性という社会的にも政治的にも必要なリスク対策として、原子力発電を早々に棄てる訳にはいかない。

原子力発電を全て停止するとエネルギー供給は現在の70%になる。電力大半が産業用であるので、家庭用を切り詰めても80%となる。日本経済の規模を現在の80%とみなす必要がある。 この経済規模は、国内の購買力減にも税収減にもなる。これは確実に国際競争力の低下につながる。

原子力発電を日本が破棄しても、韓国や中国はさらに建設するだろう。チェルノブイリ事故でイタリアの小麦が汚染されたとして、世界中に売れなくなったことを覚えているだろう。日本のすぐ西側でチェルノブイリ級の事故が起こったら、日本は農作物、海産物は元より機械製品を含め放射能汚染製品となり、経済はひとたまりもない。つまり、我々は彼らに変わって、最も東側にある国として、原子力発電を推進し彼らに電気エネルギーを輸出し、彼らに安全な原子力発電所を建設してあげる必要があり、勝手に彼らが作るのであれば、事故時の補償の約束をさせる必要がある。

この3.11の事故で 韓国や中国は過剰に日本製品の危険性を強調して、日本の世界に対する購買力の衰退を加速させ自分たちの輸出拡大を測っている。

つまり、危険であればあるほど 我々は、原発を棄てる訳にはないのである。我が日本が世界中から原子力発電を葬り去るまでは、原子力発電のトップランナーとして、先頭を走らなければ、日本の安全はないと考える。

次に、安全か?

原子力発電はとてつもなく危険であることは、東日本大震災をみても明確である。 「これは人災と」いった安全委員会トップもいたが、 日本トップとともに人災が予想できながら対応しなかった責任は万死に値する。 安全はただでは手に入らない。

この地震に際して「(人民が愚かであるため、)不要な動揺を与える情報は控えた」というコメントを 聞くが、私は彼らに、あなたが考えるほど民衆は愚かでない。と言ってやりたい。 東日本大震災でも、正しい情報を流しても動揺や暴動が起きたとは思えない。 おそらく、死者も少なくなったのかも知れないし、被爆の危険からの回避もうまく いったのかもしれない。 必ず、「危険だという情報を流すならその対処方法も教えろ」と言う人間はいるかもしれない。 緊急性を理解しない無視すべき意見なのだから。 この論法での情報隠蔽は、 情報公開に対する単なるサボタージュか、民衆をバカにした発言として憤りを感じるのは 私だけだろうか。

極めて危険であることは明確なのである。それを使わざるを得ないという現状では、 徹底的な安全対策をとるべきなのだろう。 安全対策がないなら、ベース電力として、地熱発電+揚水発電を進めるべきである。 この2つの組み合わせの波及効果は極めて有効である。

完 2011/05/30

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