岡部さんの「樹上葬、ご存じですか?見たことありますか?」
ええ、実は幽霊は人間がしたことであることを言いたかったのです。幽霊は捏造 されたということではなく、一つの宗教的儀式が知らない者にとってはいわゆる幽 霊になってしまったという話です。
狐の嫁入りとか狐火とか言われる火にまつわる宗教の儀式が、ポツンと残された 与論には昭和30年代まで残っていたのではないかということです、実はそんな話 をしたかったのです。
新聞にも書いたピ、マチの話とも 関わりますが火に関わる宗教儀式が相当あったのではないかと思います。得体の知 れない火や明かりは総て宗教的儀式とはいっていません。ただ、一年に決まった火 の帯がある地点から決まった地点に連なって見えたという話があり、その連なる火 の一つ一つの場所が特定できないかと思って調査をしたわけであります。しかし、 ご承知の通り,与論の地形が激変しその調査宿題が暗礁に乗りあがったという訳です 。
ここで見逃して欲しくないのは、火、というもの転じて、太陽、がいろんな意味 で重要ではないかということです。太陽の動線に関わって付けられたと思われる地 名が相当あるからです。なぜそんな名前を付けたか、為政者の意図、政祭一致が端 的に現れているのではないかと思います。これが私の言う歴史です。
話は変わりますが, 江戸時代末期 薩摩から奄美に島流しにあった佐源太という役人が奄美の風俗について描いた絵日 記に木の枝からつり下げられた棺桶が描かれ、樹上葬なる奇習があったと本で知り ました。その時私は殆ど忘れかけていたある光景を思い出しました。昭和32年、私 が小学2年の頃の話ですが今の琴平神社の下、崖っぷちにできた与論唯一の橋の入り 口あたりですが、そこの大きな岩の頂から木製の棺桶がロ−プ一本で釣り下げられ ていたのを思い出したのです。
こんな話与論の故老といえども殆ど聞いたこともな い見たこともない話です。私は運が良かったのでしょう。
与論で最後の樹上葬を目撃したのですから。今日はこの辺でオシマイ。