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西暦 200X年 からのメール Vol 4  From: "mitsui"
Date: Tue, 29 Sep 1998 16:48:18 +0900
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200X年7月10日 快晴

甲高い金属音を轟かせてハイパーウェイキーはこちらにやってきた。
もう十年以上前だろうか、ジェットバイクに引っ張られて遊んでいたウェイクボード
に超コンパクトエンジンを搭載、ボードだけで自由自在に走り回るようになった。遠
くから眺めていると波の無いところでサーフィンをしているような奇妙な光景。この
珊瑚礁の島に紹介されてからあっという間に広まった。

風も波も穏やかな日、、船をリーフの内側にアンカリングして昼寝をしていた。
「三井さーん!修理完了だって!」ハイパーウェイキーでやってきたシゲはすぐに小
屋に戻るように言う。

昨年、ヨットを手放すハメになった私は「クリムゾン」近くの小屋を借りていた。最
大の理由は「彼らの」専用回線にあやかるため。最近、こんな孤島でも那覇−−鹿児
島を結ぶ新しいファイバーケーブルが「寄り道」して今までより一挙10倍スピード
アップした。しかし「彼ら」は独自の専用衛星回線を所有していた。

熱狂の日韓共催ワールドカップが閉幕して何年たつだろうか、、、その直後、韓国側
の代表であった現代財閥総帥、鄭 夢準 はアジアのリーダーシップを狙って面白いこ
とをブチあげた。それは通称「スターオブアジア」と呼ばれる、アジア専用通信衛星
の共同所有事業であった。

21世紀に入ってとっくに粗大ゴミと化していたロシアのミュールを購入、そしてNASA
の商用カーゴサービスとメインテナンスを利用して、アジアの上空に静止衛星として
再利用したのだ。

通信エリアはシンガポール、香港、モンゴル、北京、ソウルをカバーするアジア一
帯、、しかし極東エリアには日本本土が含まれていなかった。これがかつてアジアの
ケネディと呼ばれた鄭 夢準 一流の戦略だった。ところが通信エリア内の東シナ海に
100万人以上の人口と国際空港を所有する日本領土があった。沖縄である。その後、
アジアビジネスサミットに沖縄県知事が出席していたのは言うまでもないことだっ
た。

那覇空港から飛行機でわずか20分の与論島にデジタルクリエイター達が集まりだした
のはスターオブアジアがきっかけだった。1990年代ソフトウエア業界で一旗上げた輩
はサンフランシスコ、シリコンバレイへと住居を移し、ブレインズ移民と呼ばれた。
その後帰国、しかし東京に馴染めなかった者たちがスターオブアジアに協力した。ま
た彼らが与論在住を決めたもう一つの理由に、那覇から米国主要都市への直行便が網
羅されたことにもある。東京都心から渋滞まみれで成田に向かうより、与論−−那覇
は近かった。そのうえ退屈なら、最終便で那覇に渡りソウルフルな夜遊びのあと8:
00発鹿児島行きのフェリーボートで戻れば、4時間後には与論に途中寄港する。夜
遊びの後にはちょうどよかった。

「彼ら」の存在を知ったのはある年のある日、、夕日を眺めるために兼母海岸を散歩
していたときだった。茅葺き小屋の前のチェアにサングラス姿の野郎が寝そべってい
た。小屋の中からは内臓が捻じれるような気味悪い音楽が流れている。3/4拍子と2/2
拍子がランダムに交差する。その野郎は指先を何も無い空間でタイピングしている。
その指の1本1本に違った色のマニキュアをしている。サングラスとおもっていたのは
液晶スコープだった。

「太陽電池とフラットパネルを積んでいるヨットを以前からこの浜で眺めていました
よ」サングラスを外すと意外とあどけないその男は寝そべりながら声をかけてきた。
「今すぐにメールを打ち終わりますから」、、、マニキュアの指は小屋の奥から3次
元認識しているという。

その男がデジタルクリエイターだというのは、ほとんどジョークと思っていた。しか
し誘われるまま小屋に入ってゆくとテーブルの上にはワイヤレスキーボード、その横
にはむき出しのシャーシーのパソコンらしき本体だけは置いてある。壁にはディスプ
レイがあるにせよあとは何も無い。熱帯魚の水槽以外は、、。

鈍い銀色に輝くシャーシーはチタニウム合金だという。「パーツの中にはプラチナ合
金もありますよ」得意げに男は言う。「じゃあCPUやチップは宝石箱の中かい」私は
笑って返した。そしてその男は水槽の前に歩み寄るとニヤリと笑った。パープルカ
ラーの液体のなかで揺らめいているのは、ファイバーでつながれたおびただしい数の
チップだった。

「この南の小島じゃあすぐに錆付きますからね。CPUとチップはあの液体のなかだと
究極の冷却になるんです。」
その男は少年時代パソコンの中で熱帯魚を飼っていたという。もちろんヴァーチャル
な話だ。その後、熱帯魚の暮らす島でパソコンを飼育している。強烈なジョークだ。

「この島で我々が裸同然で暮らしているのは、人間は錆びないからなんですよ。頭の
中を除いてはね。人間は錆びない、、それだけが我々デジタルクリエイターにとって
は人の証なんです。ヴァーチャルリアリティのなかに脳味噌はいつもいますからね」
クリエイターとしては最高のギャランティを得て最高のクルマ、バイク、コンドミニ
アムを趣味にしていた時期もあったそうだ。結局たどりついたのは「モノはPCのみ」
ということか、、。

BGMとマニキュアだけは頂けないが、、風と太陽と汗を皮膚で感じる、、どうやら私
と同じ種族のようだった。

ハイパーウェイキーのシゲの姿は、とっくに島の裏側に回り見えなくなっていた。
「クリムゾン宮殿」に我がオンボロ払い下げグラスボート「竜宮丸」が到着するに
は、あと30分はかかるだろう。まあそんな時間はどうでもよかった。「彼ら」の影響
でチタニウム合金のノートパソコンはボートに積んである。唯一気に入らないのはこ
の与論島に「A重油」が入って来なくなるかもしれないことだ。重油を燃料にしてい
る船は世紀をまたいだ現在、与論でさえ2隻しかない。ましてバッテリーを積んでい
ないからセルモーターも無い。「手回し」でエンジンをかけている。もう一人の重油
愛好家の爺さんは、来年、私が与論にやってきたときすでに、永久の船出をしている
かもしれない。

エメラルドグリーンの海、極上の空気、滑らかなリーフ、、、そんな真っ只中で
少々、臭いガスを吐きながらトロトロ走る、、これが私のお気に入りだった。