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西暦 200X年 からのメール Vol 5  From: "mitsui"
Date: Thu, 1 Oct 1998 02:04:21 +0900
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200X年7月19日 晴れ

私は毎年6月から9月一杯、この小さな島で暮らしている。初めての出会いは17才だっ
たから数十年になる、もうほんとの故郷のようなものだ。
ところがここの島民ときたら、ある時期を境に出ていってしまった。古い昔に「集団
就職」なんてものが存在したときもあったが、驚いたことに老人までもが居なくなっ
てしまった。今日はそんな思い出話しを語ろう。

90年代に大規模リゾート計画が、頼みもしないのに東から吹いてきた。巨大なヨット
ハーバーを建設するために最盛期、人口は倍に膨れ上がった。7000人もの建設従事者
がやってきて小さな町はにわか活気付いた。フトコロも下半身もたっぷり膨らんだオ
トコどもが溢れかえっている、そんなところに繁華街が「成立」するのは当然のこ
と。しかし、カウンターがオーシャンビューになっているショットバーまでもが島に
出現したのは驚きだった。オヤジの世代はネジリ鉢巻きに一升瓶だったのだが、、。

にわか景気に沸く時期に島の青年たちは一つの進路に酔っていた。潜水士や大型特殊
重機の国家ライセンスを取得して「その道」に就職することだった。「漁師のオヤジ
とオレとは違う!」、、、そんなことを口癖に。
事実、ボーナスも手に入れ一軒家も購入した。青年団で一番人気のクルマはベンツ4
WDマリンスポーツパッケージ。日曜日はジェットバイク&ハイパーウエイキーで東
京、大阪のガールをナンパする。最後の口説きは例のオーシャンビューバーでソーダ
の効いたカンパリを傾けながら、、、。
そしてそのまま継続して結納を交わし、月イチで東京デートを楽しむ者も珍しくな
かった。約20年前突然の観光ブームに沸き上がった「まぼろし」を親たちはすっかり
忘れていた。戒めることもないままに、、、。

しかし、もっとも島民の、そしてその中でも現在の30代の意識を激変させたのがイン
ターネットであった。10数年前、島の電気屋のオヤジが東京の大学教授が主催する
「PC-UNIXメーリングリスト」に参加した。その後悪戦苦闘、、ささやかなプロバイ
ダーが与論島に誕生した。その名は「Cyber Dyne Systems」
オヤジは貧しい島民のためを思ってアジアから格安のパーツを取り寄せた。そして破
格の値段でパソコンを組み立て提供した。せめてもの願いを込めてアクセスへ扱いを
教育、修理、サポート。火は小中学校から着いた。

インターネットは子供たちにすべてを見せた、与えた、紹介した。そして環境問題に
は敏感な、よい子に育っていった。「かわいいおさかなさんをころさないで」という
妄言を膨らませながら。そして成人になったころには、ただ消費に磨きのかかった情
報マニアになっていた。東京通で東京には引けを取らないという意識がオーシャン
ビューバーを生んだのだろう。

次のにわか景気は日本海に現れた。

21世紀に入ると日増しにノースコリアからのボートピープルが漂着するようになって
いた。日増しに増え続ける難民にまじりある日突然、難民に扮した武装ゲリラが高浜
原発を制圧しようと企んだ。間一髪阻止したのはアメリカ海軍だった。偵察衛星が竹
島沖を南下するボートにスキャニングを継続。結論は「重火器保有可能性85%」しか
しペンタゴンは無視した。上陸して彼らの屍を実況証拠として「陸上」に残すまで
は。そして日本政府に連絡が入る6時間も前にエージェントを通して民間放送全社に
「たれこみ」は行われた。

全国ネットで「衝撃の映像」は3ヶ月もオンエアー、、ウンザリだった。その後、屈
辱と恐怖感から世間は政府与党の「法外な法案」を支持するようになってゆく。

「メガポット日本海沿岸設置法」

波浪の被害から守るために通常の約5倍もある巨大テトラポットを日本海沿岸に20
メートルの高さに積み上げるという。海底火山があるわけでもない、マウイの貿易風
が吹くわけでもない、真の目的が安全保証にあることはあきらかだった。「この21世
紀に万里の長城 を作るつもりか!」、、野党は激しく抗議した。そしてその後、
たった1隻の僅か8名のゲリラの出現で20兆円の予算は通過した。

その頃、日本海の利権にあやかる為に、コンクリートアイランド与論のヨットハー
バー建設は、海水浴客の訪れる7月8月も休むことなく続けられた。珊瑚礁を削り掘り
起こす重機が唸りを上げるたびに、純白の砂煙が水面に浮かび上がった。エメラルド
グリーンに純白の煙など都会の民は見たことがなく、ビーチでは「ワァーー!奇麗だ
!真っ白だよ!感激、、!」と歓声の声が上がった。その水面下で叫び声をあげる生
態系など知る由も無く、、、。

工事は1年も早く完成。働き口にありつくために我先と日本海へ向かう者が後を絶た
なかった。すでに島の人口は3分の1となっていた。住宅ローン、車のローン、東京娘
との結婚、子どもの塾、お稽古、、、まだ島に「本土並みの家庭」を残した単身赴任
であった。