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天女は舞い下りた   From: "Mitsui"
1998/10/06 22:38:17
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天女は舞い下りた

「チクショウ、、!こんなはずじゃなかった!」男は吐き捨てるように独り言。カジノの非常階段で。
カジノ「龍宮城」で働くようになって三ヶ月。客の顔ぶれはほぼ決まっていた。客には「愛想悪い」と言われる、、支配人には「トロい」と罵られる。バカラで大勝した客は有頂天になってチップの余りを床に撒き散らす。「拾ったのはオマエにやるぞ!」、、そういいながら。
しかしもっともつまらなかったのは、ドレスと宝石で着飾った女の「欲深い」こと。どんなに醜い男でもカジノで動かす大金こそがすべて、、。
醜い男と醜い女、、少なくともまだ男にはそう見える、、しかしそいつらは自分を見下している。
男は昔、、現場で幾度か死にそうになった。体を張って守ったもの、、それは僅かだが、、その時にはあった。
金を張っている女を、、自分が体を張って守ることなどあるのだろうか。、、このカジノ龍宮城の50センチものブ厚いアクリルガラスが砕けでもしない限り、、男はそう思った。


某有名結婚サークル7月の会場は東京から引越し、那覇で開催される。[TANABATASAMA]というネーミングは冷や汗ものだが、年齢的に焦っているものにとっては参加しやすかった。
パーティー会場は女性の大半を都会の大卒キャリア組が占めた。しかしその中でひときわ目を引くグループがいた。常夏の沖縄には不釣り合いなその、透けるように白い肌、あどけない表情。しかしなぜか沖縄方面の「方言」を会話する。
少々頭の薄くなった男どもはそのグループに群がった。完璧な標準語を話し、そしてなによりも与論の方言さえ理解した。完璧とはいかないまでも。
彼女たちは韓国生まれ現代リゾート那覇支社 社員だという。

交際は始まった。男達は家族、親類の住む与論島に招いた。男達はぞっこんだった、しかし何よりも喜こんだのは親、祖父母の世代であった。
かつて1980年代、、過疎に悩む全国各地の村でフィリピンから花嫁をもらったことがある。結果はうまく行かなかった。言葉はもちろんだが生活習慣、食生活、そしてなによりも深い亀裂になったのは「宗教」であった。
時同じく与論において、内地の嫁との亀裂も「宗教」、、しかし違うのは内地の者にとって宗教とは習慣ではなく「拝んでいただく」などの、お金で買うものだった。習慣という宗教に日本本土の嫁はついてゆけなかった。
韓国生まれという娘たちにとって、与論の法事ごとは、、柏手を打つ以外は、自国の先祖供養となんら変わりはなかった。3代4代前までさかのぼり、そして幾日も続けられるまつりごと。それを、ごく当たり前に受け入れた。男尊女卑も含めて。

1990年代 ノースコリアでは重要な問題の解決策が練られていた。1960年代に日本から帰還した同胞について来た日本人花嫁。それらの民は実に多くの外貨を稼いでくれた。そして外交上の重要な「人質」だった。しかし老齢化と様々な物資の不足において、21世紀には人質が枯渇する。そこで考案されたのが人身売買。
そして彼らは考えた、、資本主義社会の贅沢病の者どもは、男女同権などという虚構のもとに小子化、独身主義、嫁不足は最大の恐怖となる。民族は違えど寸分違わぬ外観、、。言語、生活様式さえ教育を施せば最高の「商品」となる。そして生まれてくる子どもは60年代とは違う意味での、、やはり「情という」人質を生むだろう。

90年代末、、韓国 現代商社はこのプロジェクトを掴んでいた。日本本土を「内地」とよぶ沖縄の「琉球」、、というアイデンテティを様々な角度から研究した。そして北のプロジェクトを影から支援するようになる。沖縄を我らの経済圏に引き入れる絶好の潤滑油にするために。
しかし、、誰もが計算外だったことがある。、、それは彼女たちの心の中にある。ノースコリアには宗教が無い。個人崇拝はあれど。厳冬の飢餓の暮らし、、そしてその後の、年中素足で暮らせる南の島。玄界灘を越え東シナ海を渡ってやって来たときには個人崇拝は消えていた。そこには鬼はいなかったから。優しい家庭、親類がいた。そして愛した。