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イサナの反撃   From: "Mitsui"
1998/10/06 22:38:30
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イサナの反撃

生まれる前に亡くなった父親の遺伝子とは思わなかったが、相変わらず漁師生活 は続いていた。漁が終わって夕飯を食うとPC-UNIXのスイッチを入れた。

3年間、英語の読み書きを猛烈に独学した。ウインドウズは「9」の番号は既にご用済み。最新版は日本語で会話するのみ。しかしもはや興味はなかった。鹿児島県、沖縄県、二連覇だったから。

貧乏離島暮らしに有償ソフトは無縁だ。それ以上に英語に磨きをかけたイサナはインターネットを通じて開講されている、アメリカMITの受験講座がお気に入りだった。また、20年間も「我が漁場」をズタズタにしてくれた日本、それが経営する大学なんぞ興味が持てなかった。

お隣りの沖縄をボコボコにしたのはかつてのアメリカさんらしいが、イサナには知った事じゃない。インターネットから覗き入る世界はほとんど英語、そして真実の叫びが感じられた。

英語力を買われてプロバイダーのオヤジから、専用線のお裾分けは頂いている。これがイサナにとって、たった一人の通信夜学教育であった。

日本の文部省より数年早くアメリカMITではインターネット受験が実施されていた。イサナはそれにチャレンジするつもり。しかも学費無料の特待生。イサナは17才になっていた。合格する自信はあった。なぜなら母も亡くなった後の孤独な漁師生活には通信夜学だけが「友」だったから。もはや読み書きは与論の方言よりも得意だった。

このところイサナはずっと悶々とした毎日。それは留学の切符が貰えたとしても、なにせ金が要る。渡航費用、その他、諸々。ところが県教育委員会もどこにも無視されるばかり。「密猟屋」としてのほうが有名だった。まったく父親はご迷惑だった。

環境保護自然造形土木公共工事も一つだけ漁場を広げていたものがあった。おびただしいテトラポットは皮肉な事に、伊勢海老の漁場となっていた。 イサナはボンベで潜った。レジャーのようなお洒落なものではない。ボンベにウェイトベルトを巻き付け、そしてレギュレーターまでのホースは5メートルもある。それをくわえて、深夜水中ライトを灯してテトラポットの隙間に入ってゆくのだ。迷い込むラビリンスのように、。巨大なウツボに食われる夢は日常茶飯事だ。

島には他に出来るものはいない、それはちょうど死んだ父親のスピアガン漁のように。唯一、父と違うのは、現金収入が大きかった。これを留学費用に貯めていた。

ある日突然、看板が浜に立てられた。 「自然保護認定地域につきスクーバダイビングを禁ずる」

ヨットハーバー周辺2海里、かつてタップリ掘り起こした地域である。それを見たイサナは苦笑いした。テトラポットだらけで、潜るといえばオレだけのところが自然保護認定地域、まあそう言うんだから素潜りで入ってみた。

水深20メートルはある。想像以上に浚渫したものだ。潜水艦でもくるのか、イサナは思った。 水深20メートルに素潜り出来るものは、もはや島民にはイサナしかいなかった。もはやそうなっていた。そして20メートルに達した海底に見たものは、おびただしいゴミだった。自動車、冷蔵庫、テレビ、産業廃棄物の山々。

イサナはずっと考えていた、この現実をどう伝えればよいのか。隣りの島 では20年、海底遺跡と騒いでいる、駄目だ、もう遅い、二番煎じだ。そ れに取材人が来たって潜水禁止だ。役場は制止するだろう。

まあいいかオレの知った事じゃない、オレは留学するんだ! ここから出てゆくんだ!

しかしテトラポットはオレの漁場だったのだ。 黙って引き下がれば親父が化けて出てくる。

イサナは決行した!発信した! インターネットでマスコミに!全世界に!

与論島 茶花沖にUFO墜落!!!!!

水深20メートルに残骸発見!!!!!

ご連絡は isana@yoron.**.jp まで。