2006年与論ゼミ旅行 無事終了しました。 与論に感謝しています。来年に期待してください!
日程
2006年 8月24日 |
2006年 8月25日 |
2006年 8月26日 |
16:15 与論着、早々に夜歓迎会となった。南町長さんが来てくれました。東区の
通りを歩いていられるところを発見。なぜ?歩いて?。でも、この庶民派感覚が
みんなに慕われるところかも。
田畑観光協会長も訪ねてくれました。"ミーシクトウトガナシ"。
ここ数年、島外から観光で島に訪れる人数が急減 している。観光業の衰退を畜産が補ってきたが牛肉輸入再開が影響しなければよ いがと懸念する。すでにここは人間の体重よりも牛の体重が上まっている。 無対策では、この島の持続人口は9000人程度であろう。現在、5748人(H17)。糞 尿の量が体重に比例すると畜産によって、自然の自己治癒力を完全にオーバーし ている。つまり破滅的状況である。珊瑚の回復、モクマオの補修、そてつやあだ んの植林など観光の基礎となる事業を期待したい。一昨年の植え花の普及も継続 していないし、モクマオの幼樹も随所で枯れている。 学生に縁者の訃報。与論は来年もあるがおじいちゃんの最後は一度だから 後顧せず、ちゃんと供養してこいと慰める。 |
2006年 8月27日 |
赤崎と駅の下で泳ぐ。水中カメラケースがないので記録はない。 赤崎は浜から北向に泳ぐ。はじめての学生が多いので遠泳せず。 途中、飛行場から山内を見送る。 狩野が入れ替わり到着。 |
2006年 8月28日 |
うどのすで沖までおよぐ。結構、珊瑚が回復している。小魚も増えている。 狩野の希望で 昨日電話した楽園荘に頼んで皆田離で、皆田離でシーカヤックとバナナボートを 楽しむ。 夜、再度、歓迎会。喜山、青木、竹村さんが来てくれました。 |
2006年 8月29日 |
狩野帰る。17:15 の飛行機
夜、昼の約束していながらすっぽかした康三さんが来てくれた。
帰りのおくってくれたが何とタイヤBURST、助手席というのは不調に対して案外分からない場所なんだ。
撮した写真、水中ものは多くがボケ。難しい。 |
2006年 8月30日 |
2006年 8月31日 |
2006年 9月01日 |
2006年 9月02日 |
2006年 9月03日 |
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午前中、赤崎で泳ぐ。
赤崎の漁港口は昨年も泳いだが、
地元も泳がない危険なところであった。
少し泳げるようになった黒沢や鈴木も加えて、
全員が
図に示すように港路灯に向かって泳いだ。
泳ぎ始める時に港路灯を目指して泳ぐぞと
言った。
この選択が間違っていた。
同じ赤崎でも
赤崎灯台の前はリーフの中で、まず安全であるが、
イノーの中の珊瑚の間隔は
浜からかなり泳がないとなく、深い。
港路灯付近は浅く、珊瑚の間隔も狭く、
潮止まりでは泳ぎ易いと考えたが、
潮は止っていなかった。
それほど強い流れではないが、幅10m程の
リーフを削って漁船の入口にしたところを
離岸の流れがあり、
その流れに乗るとサーッとアウトリーフに
持って行かれる。
注意しつつこの流れから離れるように泳いだのが、
多少泳ぎに自信のある者は
私の泳ぐ方向を見ずに勝手に泳ぐ。
いつもの事ではあるが、
この時ばかりは離れないでほしいと思ったが、
時、既に遅く、流れに乗った者がいた。
海の恐さは、流れてどこに行くかが分かっていればよいのだが分かっていない時には
パニック状態になる。
そして大きな事故になる。
潮の流れから逃れるために
港路灯に昇って側を通る漁船に
手を振った者がいたが
漁船にはHELPとは見えなかったらしい。
竹下丸
漁船の側まで泳いでSOS。
ここからまゆみ丸に助っ人してもらった。
大きな事故に至らなかったので幸運ではあったが、
これを教訓にして、
学生に遊ぶ前に指導をすることを銘じた。
泳げると言っても
マスククリアもできない者であるので、
シュノーケリングの基礎のパンフを
作ろうと思う。
午後、
頼んでいた大金久沖で餌付けした魚のいるところで
シュノーケリング。しかし、
午前中の事件のせいで、精神的な
疲労のため何人かは泳ぐのを止めた。
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2006年 9月04日 |
2006年 9月05日 |
予定通り与論から帰る日が来ました。 |
2006年 9月06日 |
2006年 9月07日 |
研究室メンバーは、
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を編集して、文章を付け加えてください。
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写真集
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